いつでもそうだけど
いつでもそうだけど、他人と比較すると落ち込むものです。
まぁ、でも比較してしまう。
比較して、落ち込んで、でも自分に出来ることをしようと思い立ちます。
それも、いつものこと。
結局、出来ることしかできないし、やるしかないのです。
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いつでもそうだけど、他人と比較すると落ち込むものです。
まぁ、でも比較してしまう。
比較して、落ち込んで、でも自分に出来ることをしようと思い立ちます。
それも、いつものこと。
結局、出来ることしかできないし、やるしかないのです。
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何もない日なんてないのだけど、
一言で今日を表すとすれば、やはり何もない日となってしまいます。
悪い日ではなかったのだろうと思います。
意識しないと発見はないのです。
毎日何か発見のあるものにしたいです。
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今日は近くの温泉に行って、露天風呂で流れる雲を見たり、遠くに霞んだ甲府盆地をを眺めることが出来てリラックス。
何もしないような日はあまりないですが、何もしない日は不安に感じてもしまいます。
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「生誕200年ミレー展 - 愛しきものたちへのまなざし -」。山梨県立美術館。
ミレー作品は山梨県立美術館の代名詞的なコレクションがあり、昔からよく観ています。この展覧会は初期に描かれた作品も多くて、ミレーが「ミレー」になるまでの作品が多く観れます。初期のものは確かな技術で描かれた肖像画などが観れました。
私たちが良く知るイメージはミレーが30代後半くらいから制作したものです。それ以前と何が違うのかというと逆光が多くなり、顔を中心に形がハッキリとは見えなくなってくるところです。逆光によってぼかし、細部を描かないところがミレーの絵の肝で大切なところだと思います。
画像の「落穂拾い、夏」という作品は美術館にある作品の中でも昔から好きな作品ですが、これは構図で人物を下向きにして顔を隠すというミレーの発見が見てとれます。顔を下向きにして見せないことで、視線を顔に注目させず、暗くなりがちだった画面に色彩が加わって明るい画面が可能になっています。ミレーもこの作品が気に入っていたと思います。何枚も同構図で制作していますから。
このミレーの絵の見せ方は現代でも結構有効で展示を観ているとよく同手法が見れます。
美術館の解説文を読んでもこういうことは書いていなくて、いつも、その作家のどこが凄くて、ユニークで、同時代の作家と比べて何が突出していたから有名なのかという説明がほしいなぁと思っています。別に農村風景を描いたからミレーが突出した作家になったわけではないのですから(でも美術館の解説文には出自や農民画を作りだしたということばかり・・)。
ミレーは後期になると、その色彩と光をより考えた作品になって、印象派とも近似したものにも見えますし、私は今回ボナールを想像しましたね。
「見せない」「隠す」「ぼかす」などが私がミレーを観る時にいつもキーワードにしていることです。
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作品をたくさん作りたいとは思っていますが、段々と倉庫に溜まっていく様を見ていくと、
少し躊躇しますね。
大きくかさばるものは日本ではほぼ売れることがないので、そういった作品ほど溜まっていきます。
数十年後死んだときに残された作品を子供はたいそう困るだろうなと想像してしまいます。
ただ、作り続けるしかないのです。
マグロは泳ぎ続けなければ死んでしまう・・というように作り続けないと終わってしまいます。
作った作品は数年経った後に見ると必ずしも良いものばかりではありません。
でも悪くも無い。この作品がなければ今作っている作品も無い・・。
処分して隙間を作りたいところですが、悩むところです。
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年初に健康第一と書きましたが、ここ数日風邪で調子悪いです。
すぐに風邪をひいたりするのでいつも健康第一と言っているのだと思います。
個展前の本当に制作のピークに風邪をひかずに良かったと思うことにして、
安静にしながらゆっくり再始動します。
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趣味は何ですか?と聞かれることもたまにありますが、
私には趣味はありません。
趣味なんていらないと思っています。
趣味というのは一人で時間を潰せる技術みたいなものでしょうが、
私はいつも時間が足りない。
個展の前などは特にそう思います。
気晴らしみたいな意味でも趣味は制作には必要ないのです。
制作のストレスは制作でしか解消出来ないものなのです。
ONとOFFを切り替えるような生活ではなくて、ずっとON、もしくはずっとOFF。
「エンドレスホリデイ」という作品のシリーズを作っていますが、画家の生活なんてずっと
休日が続くようなものでもあると思っています。
これからもダラダラと続けていきたいと思っています。
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私の住んでいる山梨県の塩山は東京から車でも電車でも1.5~2時間でそれほど都心から遠いわけではないですが、それでも都心に出るのは億劫です。
地方都市に住んでいても東京まではどこからもそれほど遠くない現代ですが、やはり、時間ではなく物理的な距離が遠いこともあってそれほど頻繁に行けるものではありません。
多くの人に会えずにいることや多くの展覧会に行けていないことは、とてもマイナスなことだろうと思います。
特に東京では良い大規模な展覧会が毎月のように開催されているので、それを見ることが出来る都会に住むメリットは多大です。
制作の締め切りが近付いてくるとどうしても、観ておかなければならなかった大切な展示を見逃してしまうことがあって後悔します。
そんな時はもっと都心に家があればなぁ・・と思ってしまいます。
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