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2013年9月30日

個展の時など特に顕著に表れますが、締め切りの直前に作ったようなものというのは大抵良くない。
簡単に分析すれば、それは良く見せようとしてしまう欲でしょう。
表現なんて人に観てもらうことが前提なので、カッコよく見せようと思ってしまうことは当然といえば当然なのかもしれませんが、それが悪く出てしまうと言えましょうか。
良い方向にその欲が出て、緊張感の高まりがあって、なおかつ冷静さも失わず、作るべきものが絞られていくような、研ぎ澄まされた状態に持っていけば、もしかしたら芸術の神様もたまに降りて来てくれるのかもしれません。
そういう状態に持っていくことも経験と技術なのでしょう。
そういう良い状態は私はめったにないので、やはり出来るだけ早くに展示の骨格となる作品は作っておくのがよいのでしょう。
今回はすぐ2カ月後にも個展があるため制作のピークは持たず、淡々と作ることを心がけていますが、展示直前になったらちょっと焦ってしまうのは、まだまだ自分には余裕が無いなぁと思います。

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2013年9月28日

なかなか伝わらない

先日も電話で新聞社の方から取材を受けたのですが、
新聞社の方などはきちんと会って話をする、出来ない場合は電話で本人と話をして記事にするというように何かそういう規定、もしくは教育がされているのでしょうか?
それはそれで偉いなと思うのですが、急に展示のコンセプトや狙いを問われた時に、しどろもどろの答えになってしまい大変申し訳なく思います。
すぐに完璧に答えられるくらいになりたいものです。
私の本心はしゃべったことよりは書いたことのほうが正確だろうと思うし、書いたことよりは制作したもののほうが正直にやっているつもりです。
しかし、大抵の場合はこの反対で言葉の方が優先されてしまうようなところがあると思います。

子供と時から上手くしゃべることが苦手だったことが私が絵を描くことの一因になったと思うのです。
言葉もコミュニケーションだし、絵もまた一つのコミュニケーションでしょう。
今まで生きてきた経験でいうと、言葉でも絵でもとにかく人にはなかなか伝わらないし、伝わっているのかどうかもわからない。
逆にいえば伝わっていれば言葉もいらないし、絵も芸術も必要ないものなのでしょう。
それでも何とか伝わるように努力しなくてはならない。
他者のことを考えて、想像しないと表現にはならない。
だから、表現というものは必然的に自分にしかわからないものを作るのではなくて、
人々が共通して持っているものは一体何なのかということを考えることになるのではないかと思います。

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2013年9月27日

足りない絵

絵を描いていてありがちなことですが完成作よりも途中段階の方が良いことが度々あります。
絵というものは何かを「描く」ことなので、つい描きすぎてしまうのです。
途中の段階で感じられた何かが描き進めるにしたがって失われていく感覚。

私の作品の画面は何か物足りないくらいで多分ちょうど良いのです。
何もない空間が主役なのだから。
「THE VOID」。

制作を始めて遠景、背景となる空間の一番遠いところを描いていく。
そこに近景を描いて空間を描こうとしてしまう気持ちになってきます。
描いた途端に絵は1つの完成をむかえますが、つまらなくなることも多いのです。
だから、描くべきか悩み、時間が過ぎて何週間も放置してしまうこともあります。
その遠景、背景のまま作品として提示してみてもよいのではないかと考えています。
「足りない絵」なので自分でももどかしい作品です。
そんなことを考えていたので12月の個展は「背景」という展覧会名にしました。

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2013年9月25日

アートコレクターズ10月号

アートコレクターズ10月号。特集「やっぱり日本画が好き!」。千住先生のインタビューが載っており、その後のページに「千住博が推す17人の作家たち」というページに載せて頂きました。千住先生からのコメント付きです。他のページでは友人も多く載っておりました。他のページは人気作家や注目作家の紹介記事や芸大の第三研究室と保存修復の研究室の記事などです。http://www.tomosha.com/collectors/

千住先生のコメントは非常に好意的なものです。
もう最初にお会いした日から13年ほど経ちますが、いつも応援し、励ましてくれます。
現在の私がその当時の私の作品をもし見ることがあったならかなりダメ出しするのではないかと思います。
駄目なところを見るのではなく、なんとか良いところを探してくれていましたね。
一人で制作をしていると時として不安にかられるものです。
周りに誰か理解者が居てくれることは続けていく上で必要なことです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、1人理解者がいてくれれば生きていけるのではないかと思います。
尊敬の気持ちを持っていますが、一方で尊敬しすぎないという気持ちでもいます。
私は別の方向、方法で作品を高みに持っていきたいと思っています。

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2013年9月24日

この絵を成立させるためには

現在作っている作品を眺めていると、これは私の作品だからこれで成立するわけで
他の人がこれと同じものを作っても作品として成立しないものなのではないかと思います。
絵としてはものすごく簡単に作られたものですが、この絵を成立させるためには何百枚か制作しなくてはならなかったともいえるので簡単そうに見えて実は簡単ではないのです。

よく美術にそれほど詳しくない人が、「自分でもこのくらい簡単な絵なら描けそう」だと言われる作品があります。
一見簡単そうに見える絵は多いですが、その作品に至るまでの思考の過程を見るとやはりすごいな!という場合がほとんどでしょう。
鑑賞者の中でそんな過程のことまで考えてくれる人はほぼ居ないと言ってよいでしょうし、
私自身も鑑賞者にそこまで求めるつもりはありません。

ただ作品を第一印象で感じる美術鑑賞から、もう一歩踏み込んだ思考する美術鑑賞として楽しむのならば、そういったことも考えながら観てみるとまた違った面白さを感じられるのだろうと思います。

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2013年9月23日

二重人格的な

以前と比べると美術館などに行って作品を観たときに大感動するようなことは
いつの間にかすっかりなくなっています。
学生の時などは訳もわからずただ感動していたことも多かったように思います。
それは現在の自分が感受性が無くなったということではありません。
むしろ現在の方が小さなところまで感じとれるくらいです。
ただ私は時として鑑賞者になりますが、そんな時も同時に制作者として観ているので、
なぜ感動的なのか?どこがこの作品のすごいところなのか?というようなことを考えながら観てしまう癖がついてしまっているからなのでしょう。
絵を見る時はその絵を描いた作家が実際に描いている距離で観たりして、作品を見ながら同時に描かれた当時に制作者が考えたこと、悩んだことを想像して観るようなこともよくします。

生活しながら身の回りにあるものをモチーフとして扱うことの多い私の制作では、その生活の中である種の感動がないと作れないところもあります。「感動」と言う言葉は大げさに思えて私はあまり普段使わず、「発見」という言葉を使いますが、私としては同じような意味です。
私のように目にした風景を利用した制作を行っていると絵と実際の風景がオーバーラップして見えたりすることもあり、そこに新たに美しさを発見するような循環も起こったりするところも面白いところです。

二重人格的、なものの見方が多分作家と言われるような人たちは必要で、自然とそうなってしまうのかもしれませんね。

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2013年9月22日

自分以上の作品を

制作していて一歩一歩着実に良くなるなんてことはないですし、
多くの場合は同じ一つのことをバリエーションを広げる形で作るようなものです。
バリエーションを広げることは重要だとは思います。
表現の質は同じものでも違う見せ方があって、それを具体的に形に残すことは厚みが増すような気がします。

ただそういった作品を作りながら、飛躍的に別次元のものにさせたいといつもどこかで考えてしまいます。
一歩一歩ではなく、自分の持っている力以上のものを出すためには「てこの原理」のように別の力が必要になってきます。
自分以上の作品を作ろうと思ったら、やはりそれは過去の大芸術家の力を借りて吸収し、そして引用し別次元に持っていくしかないのだろうと思います。
オリジナリティに頼ることは天才なら良いですが、凡人には限界があります。
現代では同時代に生きる作家の作品を真似ると「盗作」だと非難されますが、過去の作家の作品を引用、吸収するぶんには何の問題もなく、むしろ積極的に引用、研究すべきだろうと思います。
自分の作品が出来る前にどれだけの過去の大芸術家の作品たちがあるのか。
自分だけの力で作ったと思いがちですが、ほとんどの場合そうではなく、
そのことに自覚して今後も作っていくしかないのだろうと思います。

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2013年9月21日

拡大しても

大きい作品は想定外の問題が出てくることも多いです。
小さい作品では気にならないことが気になりだしたりします。
小さい画面で下図を作って、そのまま拡大しても作品にはならないことがあります。
不思議です。

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2013年9月20日

月刊美術2013年10月号

月刊美術2013年10月号巻頭特集「日本画新世代 50人の仕事」。私の作品は個性派という括りで1ページ載せて頂きました。日本画の特集なので友人もたくさん載っておりました。いくつか画像を送りましたが、日本画らしくないものを選んで頂きました。全体的に具象のオーソドックスな作品が多い印象です。美術市場における人気度、期待度を基準に選んだと書いてあるので実験的な作家は少なめです。月刊美術は久しぶりに載せて頂いた気がします。

日本画の定義は捉え方によっていくつもの定義があります。
そのどれもがぼんやりとして曖昧なところがあるので私のような岩絵具と膠を使った作品では無いものも日本画作家として選ばれることがあります。
少なくともその周辺というか曖昧な境界の上にいることは自覚しています。

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2013年9月19日

蛇口

私の中身は1つの何かで出来上がっているわけではなく、色々な何かの集合体で出来ている。
絶対的な何かを信じて制作するのも良いでしょう。
ただどんな場合であろうと壁にぶち当たるはずです。
今まで通りのやり方が通じなかったら意識して自分の中にある別の要素を使えば別の考えが浮かんでくるのではないかと思います。
使っている蛇口から何も出なければ別の蛇口を試してみる。
私の作品は初期からポップアートの影響はありましたが、最近意識してその蛇口を強くひねってみたら、
今まで作ろうと思わなかったモチーフがいくつか出てきました。
他にも使える蛇口はいくつかあるので、その強弱をつけることでしばらくは作り続けられるでしょう。
もともと自分というものは空っぽであるという考えは変わりません。
自分の生きてきた歴史、会った人、観てきた作品、作ってきた作品などなど、経験してきたなかで偶然だろうが、必然だろうが選択してきたものの中を探してみれば割と作るべきものはあります。
逆にいえばそこにしか作るべきものがありません。

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2013年9月18日

迷っても

数日前に努力は人を裏切るということを書きました。
その後ネットで以下のような文を見かけました。

“報われたものは努力と呼び
報われないものは徒労と呼ぶ
だから努力は必ず報われる ”

これはこれで、そうかもねと思えます。
報われるためには勝たなくてはならなくて、勝つ可能性を高めるためには
目的、目標、ビジョンを明確にしなくては効率が悪い。

逆に徒労を発想の転換でただの徒労にさせないことも可能でしょう。
美術作品は森の中を彷徨うように迷走して、そのあげく自分のぼんやり想定していた場所とは違った場所にたどり着いてしまってもある意味では勝利したと言えることが多いと思います。
作品が正常進化するだけではなく、今まで自分でも知らなかったり、無かったりしたものを新たに発見することは美術作家にとって喜びが大きいのです。

最終的にはどういう道にいって、どれだけ迷っても必ず勝利することができる。
そう考えて思いっきり悩むべきなのでしょう。

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2013年9月17日

難しい絵

作っていて「難しい絵」になってしまうことがあります。
なんとかその絵を少しでも良くしようともがきます。
そういった「難しい絵」にさせた原因というものがあるはずで、
その原因を見つけ出してより簡単な方法、表現にすること。
簡単に描けるように工夫することが作品をより明快にさせて直線的な表現になると思うので。
描きこむことで解決するのではなく、より描かなくするためにもがくとも言えると思います。
つまり、もがくことの目的はイノベーションの発見ということなのでしょう。
私の作品は一見時間のかかっていないような描いてない作品も多いのですが、
そこにたどり着くまでには、そんなことで意外と時間がかかってしまいます。

作品の制作というのは何もないところにわざわざ作るわけです。
勝手に悩みと苦しみを持ちこんであーでもない、こーでもないとストレスを溜め、
それを解決させてスッキリするという繰り返し。
逆にそういうプロセスがないものはつまらないだろうし、飽きてしまうのでしょう。

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2013年9月16日

補完し合う作品

大作で自分の全てを注ぎこんだ1点というものに憧れていたときもありました。
私の中で思い返される苦い経験は大学の卒業制作です。
力みまくりの詰め込みまくりで何が言いたいのかわからない作品に終わりました。
現在は1点で表現するのではなく今まで作ってきた作品、現在作っている作品、未来に作る作品、その全てで表現できればと思っています。点では無く線、または面で見せる感じ。
その考えは作品と作品が繋がっていて影響しあうものでなくてはなりません。
または補完し合う作品でなくてはならないとも思います。
だから作品1点1点はもちろん大事ではありますが、個展などで数十点並べた時にどうか。
それが私としては重要で1点1点よりも全体の補完関係が大事なのだろうと思います。
いつか超大作を作りたい気持ちは今でも持っています。
それがいったいいつになるのか、どんなものになるのかはわかりません。


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2013年9月15日

ほとんどの人は敗れ去る

作品を作っていてよくあり、実感としてあることが
努力は人を裏切るということがあります。
頑張って努力しても全然良くならないことが度々あります。
そもそも何に対して頑張れば良いのかわからないという時間も
かつては多くて、それはとても苦しい時でした。
ふと思い出したのですが、
よくオリンピックの選手などがメダルを獲って、頑張って努力すればいつかは報われる・・というような意味のことを言いますが、全然違うと思っています。
頑張って努力してもほとんどの人は敗れ去る。だからこそメダルには価値があるのだろうと思います。

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2013年9月14日

個展が終わって数日

少し前ですがキドプレスでの個展が終了しました。
キドプレスの入っている建物にはいくつもの現代美術ギャラリーが入っています。
私の作品が現代美術であるかどうかはわかりませんが、現代美術の要素、影響もある作品だとは思っています。
一方で私は10数年前に発表し始めた時に現代美術と日本画を捨てるような意識がその時にはありました。
両方にコンプレックスのようなものがありました。
捨てる気持ちで、まだそれでも自分に残っていて自分にあるもの・・ただ「そのまま描く」というだけのところに立ち戻ったところがスタートでした。知性を使った騙し合いや技術を使った競争などの世界ではとてもじゃないが居場所が無いと思ったのでした。
正直さ、素直さが作品の一番の強みなのでしょうが、同時に弱点でもあります。
頭が悪そうに見えても眼が良ければ良いのだと自分では思っています。
正直さ、素直さは失わずに頭が悪いなりに考え続けていく、というのが今回の個展が終わって数日たった今日思ったことでした。

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