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2011年5月30日

悩みどころ

作品を作る過程でどういったところを悩むかというのは作家それぞれですが
私は当初あまり作画中に悩まない方法で描いていました。
作画自体はシステマティックに描く感じで、絵を無理に作らないといった感じです。
現在もある程度その方法を使いながらですが、当初とは大分違ってきて技法的なところでかなり悩んでしまっていたりします。
私としてはもう少し別のところに悩みどころを持っていくべきだろうと思ってます。
感覚的に描いていった方が空間がよく表現されるのではないかと思っていたのですが、ちょっとバランスが悪いのかもしれません。制作は冷静になって落ち着いて描けば良くて、考えて悩むべきことはもっと全体のことかなぁと思ってます。2つ同時に悩むこととかしたくなくて、出来るだけ悩みどころは1つに集中したいのです。何かを捨てなくては何かを得られないという考え方でこれまでも制作してきました。
出来ないことで悩むことはバカバカしいことで、自分でも出来るように工夫すれば良いのでしょう。

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2011年5月17日

並行して

よく私の作品を見た人から言われる特徴で「白っぽいモヤ」があります。
白地ベースで描いていきますが、空気の層を描いている過程で自然とそうなってしまうもので、作品自体にはそれほど重要なことではないのかもしれません。まぁこれは一言で言うと癖です。意識して癖を出さず画面の空間にあまり入りこまないようにして作った作品は確かに展示した時に癖(個性)が見えないために自立しているというか、適度に離されたものになっていて良いのですね。アトリエで見ている時と展示会場で見る時とでは受ける印象が違って見えるのです。ぼかしてしまうことで得られることもありますが、画面に手を加えれば加えるほど段々とダサくなってしまうのが私の作品でもあります。作ろうとするとその綻びはすぐに見えてくるので中々作りづらい。しかし、描きたい欲求というものもあって現在の作品のような形になってます。描きたいということと描かないということをもう少し整理しておく必要はあるのですが、上手くいかないです。分かり辛いですが、この描くタイプと描かないタイプの2種類の描き方ずっと並行してやってます。

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2011年5月10日

本来の

何にでもルールがあって、それは日本画でも現代美術でも一緒でしょう。
ルールを認識して少しはみ出すと「自由」になれた気がします。
作家は自由が好きなのでそこに行こうとします。
学生も意識せずとも自然な考えでそういう方向にいってしまいます。
大学入ると「らしい」作品はまず作れなくなります。
油画に入って裸婦や薔薇の花なんて恥ずかしく思えてなかなか描けないでしょう。
日本画に入って薄塗りの墨絵なんかも同じような意味で描きづらくなります。
なぜか岩絵具の厚塗りが多いのは過去の作品のイメージと同じようには(自由をつい求めてしまうために)描けないからでしょう。→結果、イメージにある綺麗な日本画というよりはゴツゴツのドロドロな作品が多い。
これは悪いことではないと思いますが、認識しないで何となくやってしまうのは良くないでしょう。私もそうだったのですがルールを認識してそれをはみ出す時というのは勇気がいるのであって、何も考えなくて何となく描いてしまうのは知的ではないです。(自分に馬鹿は馬鹿なりに考えるしかないなぁと落ち込みながら言い聞かせてるのですが、今でも何となく描いて失敗繰り返してます・・。)

そこで日本画のルーツやルールってなんだろうと考えてみて、ここでやっとみんな歴史をひも解いてみたくなる気持ちになるのですが、ひも解いたところで良く分からないのが日本画です。
現代美術はゴチャゴチャとはいえ割といくつかの流れが見えてくるような気がしますが、日本画の歴史は西洋の美術の流れに影響受けたその歴史みたいなところがあって、ただし、いかに取り入れるかといった感じの空っぽさは連続してあるようです。ということで空っぽさが武器です。本来の姿はこんな感じだと思うので何でもリミックスして見たこともないものを作りだすことも可能・・かもしれません。

強引すぎる結論ですね。書きながら自分でもよくわからなくなりました。
なお、明治以降の日本画作品で良いものはいっぱい膨大にあるので作品自体が空っぽということではないですよ。

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2011年5月 8日

日本画でもあるかも

これは小さなどうでもよいような話ではありますが私が主にアクリル絵の具を使っていて何故「日本画家」と呼ばれることがあるのかということ。

これは1つは流通の問題で百貨店などでの展示も多い私は「美術市場」という画家の絵の値段が載っている本がありますが、そこでは日本画に入れられています。区別が日本画と洋画しかないので日本画に入っています。
あとは大学の出身が日本画専攻ということ。とまぁそのくらいなのですが、周りの友人、知人、先生が日本画家が多いので一緒にグループ展することも多く日本画のグループ展に紛れ込んでいるからではないかと思います。

私自身が日本画家と呼ばれてどうかというと、最初は「違います」と言っていたと思いますが、だんだんそれもまた違うと思いなおして日本画でもあるかも・・くらいには思っています。

缶ジュースでもお菓子でも何でもよいですが、裏面に原材料表示、成分とかって書いてありますよね。その物は一体何でできているのかという。そういう原材料といったもので考えると私の作品は過去の日本画と呼ばれた作品、作家が原材料として結構比率が高いと思うのです。もちろん他にも明治以前の日本絵画や西洋絵画や現代美術や写真や、その他いろいろなものが原材料表記するとすればありますが、日本画は結構大きいのです。
直接的にも大学や日本画塾の先生やアシスタントしていた千住先生など、そういう色々な出会いがあって現在の作品も作られたわけで繋がりや影響は大きくあります。
膨大な数の過去の作品の上に現在制作している作品もあるわけです。古き良きものを生かし、尊敬しながら、自分の個人的な歴史と絡めて(実感が出るので)未来に残すという結構保守的な考え方を持っています。

なお、原材料という言い方しましたが、作品観るときにこの作品、作者の原材料は何かと考えて観てみるのも良いとおもいます。原材料が分かると理解できることもあるし、原材料を理解し知っていないと作品自体も理解できないという作品も数多く存在します。そうやって作品を辿っていくと広大さや身近さや深さや複雑さも感じ取れると思います。

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2011年5月 7日

日本画科の人は

大学に入って最初に描く植物(百合やら菊やら芍薬やら)の絵などはそれまでの延長として描けました。その後風景、人物、自画像、動物といった感じで課題が出て制作する感じでした。制作したものは研究会(講評会)で3人ずつ講評されます。この研究会(講評会)が(私の意識が低すぎたことが大きいのですが・・)私には機能していなかったのですね。研究会と言うだけあって表現よりも絵の造形面の批評だったと思います。いや、それは全然悪いことでは無いのですが、何を表現したら良いのか分からない状態で制作しているので、技術や技法も確立出来ずにいましたし、言葉も上手く入ってこなかったと思います。何を作りたいかなんていうのは基本的に本人の問題なので考えてこなかった自分が悪いのですけどね。

そんなことで、迷いの4年間が過ぎて大学院にも落ち、鎌倉にある日本画塾に行ったのですが、ここでも月に一度講評会がありました。ここでの講評会は「制作したものを発表し表現する場である」と最初に言われました。「他者」というものを考えろというようなことも言われていたと思います。1人ずつ30分ほどかけて学生と講師全員で作品を見ながらディスカッションして進めるというものでした。私はここでも落ちこぼれ的な学生ではありましたが、やっと表現と作品について真剣に考えるようになったと思います。

私は日本画科の人はどの人も技術はある程度持っていると思っていますし、どんな表現も出来るだろうと思います。作品にはその良さがあまり表れないのは他者に表現するという芸術の基本的なコミュニケーションのことを考えることが少ないからではないだろうかと思うのですがどうでしょうか。コンセプトの作り方や考え方を頭に入れてあげれば技術面や造形面は放っておいてもかなりしっかりしたものつくるような気もするのですよね。
東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻とあるように日本画の前に絵画があり、絵画の前に美術があり、美術の前に芸術とあります。芸術であることが一番最初であり、芸術を考えるのが最も重要ですし、当然ですよね。あと、芸大の日本画の人はもったいないことになぜか作品を発表することに積極的でない人が多いように私には思えます。私は作品は発表して人に見せてこそ作品になると思っていますが、描くこととその周辺の研究に勤しみ表現者としての活動をしていない人が多すぎるのではないかなぁと思っています。

今回非常に偉そうなことばかり書いてしまいまして、、すいません。
大学の先生方はとても良い先生たちばかりでした。

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2011年5月 6日

日本画を選んだ理由

日本画について少し話題になっているのでこの機会に過去のことを思い出しながらしばらく書いて行こうかと思います。(日本画についての答えは多分でないだろうけど)


私が大学の受験で日本画を選んだ理由というのは単純で、それは東京芸大に行きたかったからです。
画家になりたかったので、「それなら東京芸大だろう」ということでとにかく入学したかったのです。
日本で普通に美大に行きたいと思ったときに選ぶ学科は油絵かデザインだろうと思います。
私は絵が描きたかったので最初当然のように油絵を描いていました。中学2年から高校3年の夏までは芸大の油画志望でしたね。
高校の美術室と美術系の予備校の講習会で主に描いていました。
予備校にはコンクールがあって順位がつくのですが、評価が良くなくて、自分でも良くないと思っていまして、このままでは大学に合格するのは難しいと気付きました。そこで選択肢として表れたのが日本画なのですね。
試験科目が鉛筆による石膏デッサンと透明水彩による静物着彩というもので、ここなら合格出来るかも・・って思ったわけです。日本画の試験は基本的に観察して描くだけの写生なので、これは合っているなと。油画はもう少し絵作りが必要で「絵画」にしていかなくてはならないのです。(日本画の学生の卒業制作が毎年酷いのは絵作りの技術を大学に入ってからやるからだとも思いますね。それを油画の学生は予備校でしっかりやってるので結構見れる作品になっているかと思います。)
その日本画の受験の絵というのは個性は全く求められないもので、むしろクセのある絵は嫌われる傾向にあったので、今考えてみても自分に合ってますね。

そんな感じでたまたま日本画を選び入学したのでした。そしてまわりの他の人も多少の違いはあれど「たまたま」だったのではないかと思います。良く日本画を選んだ理由として「岩絵具を使いたくて」というものがありますが、実際は少数なのではないかと私は思ってます。画材にこだわりだしてしまうのは入学してからの人がほとんどでしょう。大学に入ると少し「絵画」を意識してプロっぽいことをやりたくなってくるのですが、中学生の時に初めて油絵を描いた時に上級なことやっているような気がしたのと同じような感じです。
受験の時には水彩絵具で描いていて、厳しい受験を乗り越えた者だけに許された画材というヘンテコな特別感もあったりします。
あと最近よく聞く理由としてアニメーターになりたいために絵の勉強のため選んだという話も聞きますが、そのあたりは良く分からないですね。アニメーターになりたかったらアニメーターの養成学校行けば良いのに・・と思うのですが。
(日本では美術家として職業として生きていくことを想像するのは難しいのでアニメーター、デザイナー、漫画家といった未来を想像してしまう気持ちは十分分かります。)

「たまたま」なのか「運命」なのか、大学では日本画専攻になったのでした。ただ、当時高校生の時に悩んでギリギリの選択の中でやはり自分の持っていた特性を考えると最善で自然な選択だったとは思います。

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